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マイ・ファースト・スパイク ユ・インス(FC東京)Vol.2 「小3の時、父親に買ってもらったアディダス『ワールドカップ』」

あなたが初めて履いたスパイクはなんですか? をキーワードに、日本でプレーする外国籍選手にスパイク遍歴や、日本と海外の違いなどについて聞く「マイ・ファースト・スパイク」。韓国の若きタレント、ユ・インス選手(FC東京)に、女優の加藤理恵さんが迫ります。

Icon 16425464 1247663551989333 473340682 n 鈴木 智之 | 2016/09/21
   <インタビュー第1回はこちら>

加藤
:学生時代から、アディダスが好きで履いていたのですか?

インス:学生の時はアディダスもナイキも履いていました。ナイキで履いていたのは、クリスチアーノ・ロナウドが履いていた、マーキュリアル・ヴェイパーというモデルです。  

加藤:日本の場合、高校年代になると、将来有望な選手はメーカーからスパイクを支給されます。インス選手は学生時代、支給されていたのですか?  

インス:僕はオリンピック代表候補に入ったときに、初めてスパイクを支給してもらいました。それが、いまも契約していただいているアディダスです。高校、大学時代は、欲しいスパイクがあるときはご飯代を節約して、お金を溜めて買っていましたし、小学生、中学生の頃は親に買ってもらっていました。  

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加藤
:今回のインタビューは「マイ・ファースト・スパイク」という企画なのですが、ずばり聞きます。あなたが最初に履いたスパイクはなんですか?  

インス:最初に履いたスパイクは…アディダスの『ワールドカップ』というスパイクです。たしか小学3年生のときだったと思いますが、父親がプレゼントしてくれました。  

加藤:それまでは、スパイクを履かずにプレーしていたのですか?  

インス:小3まではサッカー部に入っていなかったので、普通の運動靴でボールを蹴っていたんです。  

加藤:初めてスパイクを買ってもらったときの気持ちは?  

インス:気分が高まりましたよ(笑)。ソールにポイントが付いている靴を、生まれて初めて履いたんですから。最初は靴ひもの結び方がわからなくて、母親に結んでもらっていました。なので、母親がいないときはスパイクが履けませんでした(笑)。それから、ひもの結び方を教えてもらって、自分で結んでスパイクを履いて、サッカーに行けるのが嬉しくて。  

加藤:その頃のインス選手にとって、アイドルは誰だったんでしょうか?  

インス:ちょうど2002年のワールドカップの頃で、当時はまだ自分は子どもだったので、安貞桓選手や朴智星選手、黄善洪選手など、ゴールを決めた選手に憧れていました。海外で好きだったのは、ポルトガルの“ピグ”選手です。  

加藤:“ピグ”? 誰だろう。ポルトガルの…。ポジションはどこでしたか?  

インス:フォワードやウィングでプレーしていました。  

加藤:あ、わかった! フィーゴ選手ですか? 背番号7!  

インス:そうです! “ピグ”選手。
 

加藤:韓国では、“ピグ”って呼ばれているんですね。

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インス:(日本語で)チョット、チガイマスネ。韓国では“ピグ”といいます。  

加藤:2002年ワールドカップの頃、インス選手は7歳で、サッカーに興味を持ち始めた時期だったんですね。  

インス:2002年の韓国の盛り上がりはすごかったですよ。いまでも強烈に覚えています。韓国代表の試合がある日は、街に出たらみんな赤いシャツを着て、国中がサッカーに燃えていました。  

加藤:インス選手の小学生時代のチームメイトには、どんなスパイクが人気だったのですか?
 

インス:韓国代表のサプライヤーがナイキだったので、ナイキのスパイクを履いている選手が多かった気がします。朴智星選手が履いていた、ナイキのティエンポは人気がありましたね。

(Vol.3に続く)
 

<プロフィール>
ユ・インス 1994年12月28日生まれ。韓国出身。仁川萬壽北初等学校-慶信中学校-彦南高校-光云大学を経て、2016年にFC東京に加入。U-21、U-22、U-23韓国代表。2016年AFC U-23選手権準優勝。  

加藤理恵(俳優・キャスター) 1985年7月29日、東京都出身。日系ブラジル人の母を持ち、サッカーとJリーグをこよなく愛する。俳優として様々な映画、ドラマ、CMに出演。「totoONE」ではレギュラー予想家として登場(http://www.totoone.jp)。公式ブログ http://ameblo.jp/kato-rie/ Twitter @vi729

写真/清水知良(フィーゴ)