Nakano

埼玉と京都での感動を胸にー。夢を叶えた野球少女・中野菜摘はユニフォームを脱ぐ。

幼少期から野球を続け、女子野球界のトップを走り続けてきた中野菜摘。王貞治氏からの言葉を信じ、子どもの頃にはまだ存在しなかった女子プロ野球選手という夢に向かって努力し、それを実現させた。 夢を叶え、今年ユニフォームを脱ぐ中野選手が移籍したからこそ経験できた感動の出来事、現役引退に際しての心境、そして未来の女子プロ野球選手に向けたメッセージとは。

Icon 19441337 1436670123094269 1330815580 n 森 大樹 | 2018/10/13

フローラへの移籍で味わった感動。   

2017年からはプロになって4年間を過ごした埼玉を離れ、京都フローラに移籍。前年打率.219と低迷したところから見事復活を遂げ、.279を記録した。地元・福岡のタマホームスタジアム筑後で行われた9月12日のアストライア戦では2安打2打点の活躍でヒロインにも選ばれている。

京都に移籍が決まった際、埼玉への愛着からアストライアファンへの挨拶の場面で号泣したこともあったが、フローラに行ったからこそできたこともあった。  

「京都に行ったことによって、フローラファンの人の私に対する誤解が解けたみたいなんです。サインとかしている時にフローラファンの人から、『アストライアにいた時は中野選手がもっと怖い人だと思っていました』と言われることがあって(笑)だから「私やさしいでしょ?」と自慢げに答えておきましたけど。」(中野)  

もしかしたらヒョウ柄のド派手な野球道具が少々尖った印象を与えるのかもしれないが、言葉を交わせばすぐに彼女の性格の良さに気づける。
以前私が取材でアストライアの強化練習に参加した際も気さくに話しかけてくれた。私を気遣い、トレーニングの一環として行われたアルティメット(フライングディスクを使ったスポーツ)のルールを教えてくれたことを覚えている。    

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神宮球場開催で打席に向かう中野選手

もう1つ、中野選手がフローラへの移籍を経験したからこそ、味わえたことがある。それは2017年7月17日、年に1度の女子プロ野球神宮開催の日に起きた。


「私は京都に1年だけしかいなかったのですが、その年の神宮の試合の日がたまたま私の誕生日だったんですよね。その時に1塁側からも3塁側からもバースデーソングが聞こえてきて、それがすごく嬉しかったんです。」(中野)

 女子プロ野球選手になって一番よかったのは「たくさんの人と知り合えて、応援してもらえたこと」と語ったが、まさにこの神宮球場での出来事が両球団のファンから広く愛されていたことを象徴しているといえるだろう。    

アストライア、そして未来の女子プロ野球選手へのエール   

迎えた2018年シーズンからは再び埼玉アストライアでプレーすることが決まっていた。古巣復帰を楽しみにしていたファンも多かったはずだが、開幕前に起きた体調不良によりチームを離脱し、ついにプレーは叶わず。現在も地元・福岡で療養を続けている。
その間もアストライアの近況はチェックしており、山崎まり選手を中心に定期的にチームメイトとも連絡を取り合っているとのこと。
 

昨季女王奪還を果たした古巣への復帰が決まり、中野選手自身も今年に懸ける思いは強かったはずだ。このような形での引退となり、選手として志半ばであっても不思議ではないが、そこは意外な答えが返ってきた。

「選手としてすべてをやり尽くしたかといえばそうではないかもしれませんが、今すごく心残りなことはないです。強いて言えばタイトルを取れなかったことくらいですかね。」(中野)

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細かいところでの選択やプレーについての“たられば”はたくさんあるが、野球に対してその時々で全力で向き合ってきたからこそ、今悔いることはないのだろう。

ただ、アストライアのチームメイトへのメッセージをお願いすると、「またどこかでみんなと野球できたらいいな。」と少し寂しそうな表情を見せた。
「特にプロ1年目から一緒だった楢岡(美和=埼玉アストライア)。かわいくてお茶目で頭をわしゃわしゃってやりたいです(笑)でも友紀ちゃんも楢岡も他の選手もまず現役でいるうちはとにかくやりきってほしいと思います。」とこれからのアストライアへエールを送った。  

そしてこれから女子プロ野球選手を目指す野球少女たちには本気で取り組めば誰にでもチャンスはあると背中を押す。

「プロ野球選手になりたいという気持ちが大きければ大きいほど、しっかり練習しますよね。目指すなら本気で取り組んで頑張ってもらいたいです。絶対みんななれるチャンスはあるので、そうやってこれからの女子野球の未来をつくっていってほしいです。」

最後になぜ子どもの頃にはまだなかった“女子プロ野球選手”という見えない夢を信じ、厳しい練習に耐え抜くことができたのか、を問うた。
今までの野球人生を振り返るように少し沈黙した後、中野選手は答える。 

「結局野球が好きだったからじゃないですか。もうそれだけだと思いますよ。」

そう照れくさそうに笑った彼女の顔は、あの日の野球少女そのものだった。


前編:http://king-gear.com/articles/932


【取材・写真=森 大樹】